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記憶を身につける

  • 7月4日
  • 読了時間: 2分

16年ともに過ごした猫が亡くなりました。

日常はとても静かになり、築いてきた生活の形も変わりはじめる。

そっか、もういないんだ… 。 と認識するたびに胸が苦しくなります。


猫の死の覚悟を決めた時と、それでもやっぱり生きることに期待してしまう時で、 なんでこんなにも感情に差があるのか不思議に感じました。


死に向かって描かれる線に逆らわず、ただ寄り添って進んでいく覚悟。それは穏やかでまっすぐな線だったはずなのに、「もしかしたらまた元気になれるかもしれない」というわずかな生への期待が浮かんだ瞬間、その線は方向を持ち、大きく揺らぎ始める。


生きることと死は、同じベクトル上にありながら、交わったり、離れたり、形を変えながら進んでいき、「生きたい」という欲求は、ときにとても残酷な時間をもたらすのかもしれない。


また、複数のペルソナ──仕事や制作、趣味など、それぞれの場で持つ自分──についても思うことがありました。

現在私は、新しい勤務先、adachiyukari.としての活動、ボルダリングのコミュニティ、友人たちを拠り所としています。以前はもっと限られていたのですが、今はおのずと、猫に執着し感情を乱すことも少し穏やかになっているのかもしれません。 猫だけに向き合うことが苦しくなれば、ほかの場所へ意識を向けることができる。支えを分散させることで、心はバランスを取りやすくなるし、痛みも少し和らぐのかもしれない、と。

そんな風にバランスを取るのが上手になれば、生きやすくはありそうです。けれど、それが本当に幸せと言えるのかは、まだ私にはわかりません。

今回は猫に優先順位を置きましたが、そうしなかったらもっと後悔が残った気もします。



そんなふうに今回感じたことを図式化しながら考えていると、これを形として残しておきたいなぁと思いました。

それを見るたびに、「今」という時間が確かにあったこと、そのとき何を感じていたのかを思い出せるような、

小さな記憶の装置として。


思えば、それこそが私がジュエリーをつくり始めた原点でした。

だから今回の出来事も、形にして身につけられたらいいなと思っています。


最後まで生きることを諦めず、必死に生き抜いた猫。

そんなあなたの姿勢を、忘れずにいたいと思う。

いろんな想いを私に残してくれてありがとう。

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